ついに待ちに待った穂高である。
もうだいぶ前から準備はしておいた。行程表、登山計画はもちろん、山用の衣類、特に寒さ対策の下着、靴下、医薬品、カメラ、フィルム(今回はリバーサルだけ)、などなど、今回はいままでにない重さでずしりとくる。これで歩けるのかと心配になる。
それ以上に心配なのは上高地へ通じる釜トンネルの崩壊で車両通行制限があるとのこと。何回もインターネットでの情報を確認する。
ほんの2・3日前から時間制限の通行が開始されたのを確認するが、なんとも現地に行ってみないとどうなるかわからない。
いよいよ、木曜日、仕事を早々に引き上げ、自宅に帰り出発の準備をする。いざ、出発となると忘れ物はないかと不安になる。
18時40分に自宅を出るが東北道の栃木あたりからどしゃぶりの雨。ワイパーが全くきかず感頼りの運転になる。佐野藤岡サービスエリアでしばらく様子をうかがう。
国道50号を足利、桐生と進め高崎から関越道、さらに藤岡JCTで上信越道に入る。
小諸で高速を下り、一路、松本に向かうが途中で道を間違える。
松本に入り、テールランプが切れているのがわかり、GSで修理とともに給油。コンビニで食料を買い込み、最終目的地の沢渡(さわんど)の駐車場に到着。時間は午前2時でほぼ予定通り。
駐車場は結構埋まっており、ときおり車内のランプが光る。持っていった毛布で仮眠したが、なかなか眠れず寝た気がしない。
もうだいぶ前から準備はしておいた。行程表、登山計画はもちろん、山用の衣類、特に寒さ対策の下着、靴下、医薬品、カメラ、フィルム(今回はリバーサルだけ)、などなど、今回はいままでにない重さでずしりとくる。これで歩けるのかと心配になる。
それ以上に心配なのは上高地へ通じる釜トンネルの崩壊で車両通行制限があるとのこと。何回もインターネットでの情報を確認する。
ほんの2・3日前から時間制限の通行が開始されたのを確認するが、なんとも現地に行ってみないとどうなるかわからない。
いよいよ、木曜日、仕事を早々に引き上げ、自宅に帰り出発の準備をする。いざ、出発となると忘れ物はないかと不安になる。
18時40分に自宅を出るが東北道の栃木あたりからどしゃぶりの雨。ワイパーが全くきかず感頼りの運転になる。佐野藤岡サービスエリアでしばらく様子をうかがう。
国道50号を足利、桐生と進め高崎から関越道、さらに藤岡JCTで上信越道に入る。
小諸で高速を下り、一路、松本に向かうが途中で道を間違える。
松本に入り、テールランプが切れているのがわかり、GSで修理とともに給油。コンビニで食料を買い込み、最終目的地の沢渡(さわんど)の駐車場に到着。時間は午前2時でほぼ予定通り。
駐車場は結構埋まっており、ときおり車内のランプが光る。持っていった毛布で仮眠したが、なかなか眠れず寝た気がしない。
朝食後、仕度をし駐車料金を3日分払う。(1500円)。7時前にバスが来るというので切符を買って停留所に並ぶ。7時から1時間だけ通行可能とのことだ。
もうすでにバスやタクシーが並んでゲートに向かっている。バスはいずれも満員で結局7時20分頃上高地バスターミナルに着く。バスを降りるとかなりの人だ。今の時間帯はほとんどが登山者だ。すぐに涸沢に向け出発となった。何回も上高地には来ているが、ここから先は未知の世界だ。
いよいよ7時30分登山開始だ。
通称上高地街道と呼ばれる林道を行く。登山といっても、しばらくは大きな林道を歩くことになるのでまだ実感はわかない。1時間歩いて明神に着く。帰りの宿泊地に予約しておいたところだ。
小休憩の後、徳沢に向け、さらに1時間。上高地からずっと左に梓川を見ながらの歩きだ。梓川の向こうには、井上靖の小説「氷壁」の舞台となった前穂高岳の東壁がその全容を見せている。
この辺までは観光客はほとんど来ない。なんといっても穂高、槍ヶ岳方面へのメインルートである。
この辺から雨になってきた。なんで雨なんか降るんだと思いながら仕方なくカッパを着る。
目指す涸沢ヒュッテは見え隠れするがなかなか近くならない。この辺の紅葉はさえない。赤が出ないしナナカマドも黄色く、枯れかけている。天候のせいだろうか。
聞いたところによると今年の紅葉も去年と同じく不作とのこと。雑誌でのあの真っ赤な紅葉が頭にあるだけに、ちょっとガッカリ。
息が長くは続かず、長い時間は歩けない。小休憩を繰り返しながらの登りである。
突然、ヘリコプターの音に緊張する。救助隊員がヘリからつり下げられて飛んでいる。近くの沢に落ちたらしく何回かヘリが行き来する。ガスも出ている中での照明弾が打ち上げられた。ここは明日帰りのコースである・・・・・。
目指す涸沢ヒュッテは見え隠れするがなかなか近くならない。この辺の紅葉はさえない。赤が出ないしナナカマドも黄色く、枯れかけている。天候のせいだろうか。
聞いたところによると今年の紅葉も去年と同じく不作とのこと。雑誌でのあの真っ赤な紅葉が頭にあるだけに、ちょっとガッカリ。
息が長くは続かず、長い時間は歩けない。小休憩を繰り返しながらの登りである。
突然、ヘリコプターの音に緊張する。救助隊員がヘリからつり下げられて飛んでいる。近くの沢に落ちたらしく何回かヘリが行き来する。ガスも出ている中での照明弾が打ち上げられた。ここは明日帰りのコースである・・・・・。
雨の中やっと、涸沢ヒュッテに到着。2時頃である。この地点で約2300mだ。
この涸沢は、日本第3位の標高を持つ奥穂高岳を中心として、北穂、前穂に囲まれた日本最大の氷河圏谷(涸沢カール)で、多くの登山者でにぎわう。シーズンには”テント村”ができる。
雨のせいか小屋には登山者が多く集まっている。
受付を済ませ、2階の「北穂」という部屋に入る。部屋と言っても開けっぴろげの部屋だ。ここに14人ぐらい入る計算だ。ふとんは7~8枚しか敷けない。
受付で言われたが1枚のふとんに2人の計算だ。すでに5人ほど先客がいたが、みんな異口同音にもう誰もこなけりゃいいなと言っている。
結局最後は満員となる。ザックを置く場所もないようだ。
テント村のカラフルなこと。雨のせいで小屋泊まりに切り替えた人もありそうなのでテントはそれほど多くはない。テントを挟んだ向かいには涸沢小屋の明かりが見える。
この涸沢は、日本第3位の標高を持つ奥穂高岳を中心として、北穂、前穂に囲まれた日本最大の氷河圏谷(涸沢カール)で、多くの登山者でにぎわう。シーズンには”テント村”ができる。
雨のせいか小屋には登山者が多く集まっている。
受付を済ませ、2階の「北穂」という部屋に入る。部屋と言っても開けっぴろげの部屋だ。ここに14人ぐらい入る計算だ。ふとんは7~8枚しか敷けない。
受付で言われたが1枚のふとんに2人の計算だ。すでに5人ほど先客がいたが、みんな異口同音にもう誰もこなけりゃいいなと言っている。
結局最後は満員となる。ザックを置く場所もないようだ。
テント村のカラフルなこと。雨のせいで小屋泊まりに切り替えた人もありそうなのでテントはそれほど多くはない。テントを挟んだ向かいには涸沢小屋の明かりが見える。
夕食までの時間、なにもすることがないので、外に出て名物のおでんを食べる。生ビールもある。
さっきからの雨は強くなっている。
予定では、時間をかけて近くを歩きながら写真を撮るはずだった。ときおり雨が止んでガスが少し晴れるときをねらって写真を撮る。
ガスが先ほど登ってきた方向から吹き上げて来るのがよくわかる。
そんなに寒く感じない。今の季節にしては暖かすぎるのでは。雪が降ってもおかしくない時期だ。
夕食は時間交代で呼びに来るとのことだったがしばらくたっても何の連絡もない。同室の人が入ってきて食事をしてきたとのこと。どういうことなんだと思いながら、待っていた同室の数人と食堂に向かう。夕食も山小屋にしてはまあまあだと思う。おいしくいただいた。部屋のあちこちに有名写真家の撮った写真が飾ってある。
夕食後、相変わらずの雨なのでみんな6時半だというのに寝る場所の割り当てをし、ふとんにもぐる。1枚のふとんに互い違いに寝る。ラジオを持っていた人が明日は晴れの予報だと教えてくれた。
疲れてはいるのに眠れない。何時間寝たのか記憶にない。
さっきからの雨は強くなっている。
予定では、時間をかけて近くを歩きながら写真を撮るはずだった。ときおり雨が止んでガスが少し晴れるときをねらって写真を撮る。
ガスが先ほど登ってきた方向から吹き上げて来るのがよくわかる。
そんなに寒く感じない。今の季節にしては暖かすぎるのでは。雪が降ってもおかしくない時期だ。
夕食は時間交代で呼びに来るとのことだったがしばらくたっても何の連絡もない。同室の人が入ってきて食事をしてきたとのこと。どういうことなんだと思いながら、待っていた同室の数人と食堂に向かう。夕食も山小屋にしてはまあまあだと思う。おいしくいただいた。部屋のあちこちに有名写真家の撮った写真が飾ってある。
夕食後、相変わらずの雨なのでみんな6時半だというのに寝る場所の割り当てをし、ふとんにもぐる。1枚のふとんに互い違いに寝る。ラジオを持っていた人が明日は晴れの予報だと教えてくれた。
疲れてはいるのに眠れない。何時間寝たのか記憶にない。
またまた6時過ぎにヘリの飛来である。北穂高岳頂上の真下での事故である。気をつけねばと内心思う。
今回は目前の3000m級の山(奥穂高岳・涸沢岳・北穂高岳など)には登らないが、そそり立つ山を見て、はたして登れるのだろうかとの思いがしてくる。ここから800mの高度差だ。とにかくひっくり返るような感じで登っていくような勾配である。
朝食後、ザックを小屋に置き、写真を撮りに行く。少し登ったところに一人写真を撮っている方がいたので、そこに落ちついて撮りはじめた。この辺は写真のポイントのひとつらしい。
涸沢ヒュッテの赤い屋根に陽が射すまでいる。紅葉がさえないのでせめて屋根の赤が紅葉替わりだと冗談を言っていた。ここで約1時間、8時半過ぎまでねばっていたが帰りの時間も気になりだしたので出発することにした。
帰りは、パノラマ新道を使う。何カ所も絶壁を横切ることになる。下を見ると身震いするほどだ。濡れていたり霜で凍っていると非常に危険だ。
今回は目前の3000m級の山(奥穂高岳・涸沢岳・北穂高岳など)には登らないが、そそり立つ山を見て、はたして登れるのだろうかとの思いがしてくる。ここから800mの高度差だ。とにかくひっくり返るような感じで登っていくような勾配である。
朝食後、ザックを小屋に置き、写真を撮りに行く。少し登ったところに一人写真を撮っている方がいたので、そこに落ちついて撮りはじめた。この辺は写真のポイントのひとつらしい。
涸沢ヒュッテの赤い屋根に陽が射すまでいる。紅葉がさえないのでせめて屋根の赤が紅葉替わりだと冗談を言っていた。ここで約1時間、8時半過ぎまでねばっていたが帰りの時間も気になりだしたので出発することにした。
帰りは、パノラマ新道を使う。何カ所も絶壁を横切ることになる。下を見ると身震いするほどだ。濡れていたり霜で凍っていると非常に危険だ。
1時間弱で屏風のコルに到着。ここは紅葉がすばらしい。ナナカマドの赤が良く出ている。なんとか涸沢にきたかいがあったと思う。奥穂高岳、北穂高岳をバックに紅葉を入れ撮る。
しかし、ここは狭い稜線上なのであまり後ろにさがれない。後ろも切り立った崖になっている。さらにここからはまさしく槍が天に向かっているような槍ヶ岳がくっきりと見える。いつかあの山にもと思う。真っ青な空に映えている。
また、富士山が遠くに見えたのにも感動。早速、重いのに持っていった、200mmレンズに替える。
ここから30分ほどで屏風の頭にいけるがきつい登りがある。しかし時間の関係でパスすることにした。
10時20分、ここからは、下り一方の長い道のりだ。なにしろ2400mから1500mまで下ることになる。慎重に下りるが、がれきの地帯からだんだんと下りるに従い、樹林帯に入っていく。
しかし、大きな岩が道をさえぎる。だんだんと膝が笑ってくるのがわかる。もう少し行ったら休もうと言い聞かせながら下りていく。
苦労して下ってきたパノラマ新道ともお別れ。
前穂高岳方向(写真中央やや左)を振り返る。右端の山並みの向こう側が涸沢カールだ。
徳沢にある新村橋まで来ると帰ってきた感がする。ここで12時35分だ。徳沢で昼食をとるが、昼食は頼んでなかったので、昨日予備食で持っていたパン類をほおばる。
今日は明神に泊まる予定だったが、月曜日の仕事での宿泊研修を考えると今日のうちに帰ったほうが良いとの判断でキャンセルの連絡をする。
帰りのバスの時間を気にしながら一気に上高地まで向かう。
疲れもピークであったが本当に早足で歩いた。上高地にはぎりぎりの2時40分であった。一般観光客と入り混じり長い長い行列に加わった。一緒に並んだ人が奥穂高岳に登ってきたとのことで話しをしていたら、今朝登って、上高地でもうお風呂に入ってきたとのこと。年輩であるがタフである。なんであそこまで行って登らなかったのと聞かれた。
あとバスの残りは2台だとの話し。ぎりぎりセーフであった。なにしろ交通規制でこれに乗れなかったら5時まで待つことになる。帰りのバスの運転手が釜トンネルの土砂崩れの時のの様子をガイド代わりに教えてくれた。事故現場の2~3台後ろにいたという。
また来年も来るよと心に思い15時50分沢渡を後に家路に向かう。
22時20分帰着。
また来年も来るよと心に思い15時50分沢渡を後に家路に向かう。
22時20分帰着。
1999年/2001年の
涸沢カール紅葉スライドショー
スマートフォンは横向きがベストです。
涸沢カール紅葉スライドショー
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