やがて小丸山に近づくと、登山道は石ころがごろごろしていて歩きにくいためにできた笹のなかの道も並行して走っているが、こちらの方が断然歩きやすい。
往路に小丸山に登るつもりだったが、袈裟丸山への巻き道が地図にも表されておらず、道標があったのかどうか気づかず巻き道を進んでしまう。
出たところは次の避難小屋であった。結果的には近道であり楽をした。小丸山には帰りに寄っていこうと気を取り直す。
この避難小屋は鉄製のドーム型でめずらしい作りだが、何か中は圧迫感があるような気がする。トイレも完備されているが、近くにいた女性が用を足そうとドアを開けたとたん、「あっ」と叫んだ。一瞬何だろうかと思ったが、すぐに事情は理解できた。山中のせいか、なかなか手入れは行き届かないようである。しかし、この辺りはシラカバ林の平坦地で気持ちの良いところだ。夏の涼しい林間で一夜を明かすのは別格だろうと思う。
往路に小丸山に登るつもりだったが、袈裟丸山への巻き道が地図にも表されておらず、道標があったのかどうか気づかず巻き道を進んでしまう。
出たところは次の避難小屋であった。結果的には近道であり楽をした。小丸山には帰りに寄っていこうと気を取り直す。
この避難小屋は鉄製のドーム型でめずらしい作りだが、何か中は圧迫感があるような気がする。トイレも完備されているが、近くにいた女性が用を足そうとドアを開けたとたん、「あっ」と叫んだ。一瞬何だろうかと思ったが、すぐに事情は理解できた。山中のせいか、なかなか手入れは行き届かないようである。しかし、この辺りはシラカバ林の平坦地で気持ちの良いところだ。夏の涼しい林間で一夜を明かすのは別格だろうと思う。
袈裟丸連峰がパノラマ状態で望むことができる。しかし、目指す山は高く、まだまだ遠いといった感じで、これからあそこを登るのかと躊躇する。まさにこの山域はふところが深く、信仰の山という感じがする。
気を取り直して進める。ここを一旦下りシラカバ林やシラビソのなかを過ぎるといよいよ最後の急登に取り付く。
かなりの急登である。根っ子や周りの木を頼りに「よっこらしょ」という感じだ。疲れも最高潮で息を整えながらの40分ぐらいか。
まもなく急登も終わり笹原に出る。南方面が開けてきた。遠く雲海とともに赤城山が見えている。
この辺も白根山ほどではないが、立ち枯れの木が目立つ。ここも酸性雨の影響か。シャクナゲが多く点在している。
気を取り直して進める。ここを一旦下りシラカバ林やシラビソのなかを過ぎるといよいよ最後の急登に取り付く。
かなりの急登である。根っ子や周りの木を頼りに「よっこらしょ」という感じだ。疲れも最高潮で息を整えながらの40分ぐらいか。
まもなく急登も終わり笹原に出る。南方面が開けてきた。遠く雲海とともに赤城山が見えている。
この辺も白根山ほどではないが、立ち枯れの木が目立つ。ここも酸性雨の影響か。シャクナゲが多く点在している。
■雑感
塔の沢コースは標高差約1000mとアルプス並みの標高差と長い行程を強いられる。危険個所はほとんどないので、ゆっくり時間に余裕をもった山行であれば、歴史を堪能しながらの深い森のなか沢沿いの気持ちのいいコースとの印象を受けた。なお、弓の手コースは2時間近くの山行時間短縮が図れるので、花を目的の場合はこちらのコースが一般的だろう。
塔の沢コースは標高差約1000mとアルプス並みの標高差と長い行程を強いられる。危険個所はほとんどないので、ゆっくり時間に余裕をもった山行であれば、歴史を堪能しながらの深い森のなか沢沿いの気持ちのいいコースとの印象を受けた。なお、弓の手コースは2時間近くの山行時間短縮が図れるので、花を目的の場合はこちらのコースが一般的だろう。
■寝釈迦像の説明(原文のまま)
昔、勝道上人が彫ったともいわれ、また弘法大師が巡錫中この像を見て開眼したとも伝えられ、また徳川初期の作とも言われている。北枕で西方を向いて横たわっている。北枕は頭寒足熱、西方にそびえるヒマラヤの雪嶺は炎熱にあえぐしゃかの生地からは極楽浄土と見なされた。心臓を上方に右手枕で右脇を下方に横たわっている姿勢は身体が最も安楽な体位とされている。この存在について別の伝えによれば、徳川幕府の直轄であった足尾銅山に送り込まれた多数の囚人が病死したので、その菩提を弔うために秘かに彫ったとも言われている。
昔、勝道上人が彫ったともいわれ、また弘法大師が巡錫中この像を見て開眼したとも伝えられ、また徳川初期の作とも言われている。北枕で西方を向いて横たわっている。北枕は頭寒足熱、西方にそびえるヒマラヤの雪嶺は炎熱にあえぐしゃかの生地からは極楽浄土と見なされた。心臓を上方に右手枕で右脇を下方に横たわっている姿勢は身体が最も安楽な体位とされている。この存在について別の伝えによれば、徳川幕府の直轄であった足尾銅山に送り込まれた多数の囚人が病死したので、その菩提を弔うために秘かに彫ったとも言われている。
■相輪塔の説明(原文のまま)
高さ、十八米、巾三米で、自然に出来た。塔石や附近に十六石仏が祀られている。沢入にあったこの塔は、女人の信仰があつく、彼女達が塔石に上がるのを嫌った天狗が一夜のうちに約七粁離れた現在地へ運んだ。その時、上の石から積み上げたので最も大きい台石が最上段に乗り危険な状態にあるがその時、塔の中に封じ込んだ白蛇がお守りしているので崩れないでいると言われている。
高さ、十八米、巾三米で、自然に出来た。塔石や附近に十六石仏が祀られている。沢入にあったこの塔は、女人の信仰があつく、彼女達が塔石に上がるのを嫌った天狗が一夜のうちに約七粁離れた現在地へ運んだ。その時、上の石から積み上げたので最も大きい台石が最上段に乗り危険な状態にあるがその時、塔の中に封じ込んだ白蛇がお守りしているので崩れないでいると言われている。
■賽の河原の説明(原文のまま)
弘法大師がこの附近に来た時、日が暮れて夜になった。子供たちの泣き声が聞こえるのでその方を見ると、鬼火が見え、大勢の子供が集って石を積み重ねていると、鬼火が赤鬼青鬼となったので皆泣きわめいていた。そこでその責苦を救うため三夜看径(かんき)し済度(さいど)したと言われ、今でも子供の新仏を出した人がここで石を積むと子供に会えると言われている。
弘法大師がこの附近に来た時、日が暮れて夜になった。子供たちの泣き声が聞こえるのでその方を見ると、鬼火が見え、大勢の子供が集って石を積み重ねていると、鬼火が赤鬼青鬼となったので皆泣きわめいていた。そこでその責苦を救うため三夜看径(かんき)し済度(さいど)したと言われ、今でも子供の新仏を出した人がここで石を積むと子供に会えると言われている。
リベンジ編 -ふたたび花の山へ-
小丸山
こまるやま (1676m)
平成16年5月23日(日) くもりのち晴れ
群馬県東村(みどり市
平成16年5月23日(日) くもりのち晴れ
群馬県東村(みどり市
■行 程:折場登山口-ツツジ平 - 賽の河原 - 雨量観測所 - 小丸山 - 避難小屋 - 雨量観測所 - 賽の河原 - 折場登山口
■サムネイル画像解説: ※サムネイル画像に赤枠のあるものは拡大できます
主稜線にはいるとやがて「ツツジ平」に到着する。太い丸太を組み合わせた展望台が設置されている。
ここから100mほど進むと、賽の河原に到着する。
この辺からのツツジも見事だ。右に左にシロとムラサキが飛び込んでくる。これに加えて新緑のミドリが混じりいい雰囲気である。