奥鬼怒には7、8年ぶりに訪れた。
”鬼怒川”、呼んで字のごとく、まさに鬼が怒ったように何度か暴れたようである。山、川が以前の様子と一変している。
午前6時に出発する。
これまでの絹姫橋を経由した歩道が通行止めであることを看板で知る。道が崩落しているようである。
いつもは一般車通行止めの奥鬼怒林道を経由して仮歩道を歩くようになっている。
道理でいつもは橋のたもとの遮断機が下りているが、開いている。
橋を渡るとすぐ右手にかなりの急傾斜の金属製の階段がある。ここも行けそうな感じだが、案内板には仮歩道入口まで1kmとあるので、そのまま指示どおり進む。
林道をジグザグに進む。カーブには仮歩道まであと何メートルの表示がしているので、安心して進む。
しばらく行くと林道右手に大きな仮歩道案内板がある。
【仮歩道マップ】
林に入るとほどなく分岐があり、先ほどの階段からの道を合わせているようだ。
この分岐から河原方向に下降する。(帰りはつらい坂になるなと思いつつ…)
りっぱなつり橋で長さも程ほどにある。新設して間もない感じ。
「鬼怒の中将乙姫橋(きぬのちゅうしょう おとひめばし)」と名付けられている。
ここを渡ると、従来の歩道と出合う。
河原には大木が流されて横たわり、付近の山肌も崩れており、暴れた様子がうかがえる。
所々、大きな岩石が落ちているので、歩いていて恐怖感を覚える。
今までは鬼怒川の左岸のみを道は通っていたが、しばらく進むと、橋(二の岩橋)を渡り右岸に出る。
すぐに、また橋(砥の岩橋)を渡り再度左岸の登山道に出る。
(これまであったやや高台の登山道は崩落等により閉鎖しているため)
八丁の湯に着く。(仮歩道のせいかやや時間がかかっている)
ここは、昔からの建物とともに今風のログハウスに代わってきている。
名犬「チビ」が出迎えてくれた。しかし、完璧なメタボで動くのもままならいない様子。
チビの気分で選んだお客様を、鬼怒沼までお客様を案内する様子が当時テレビで放映された。
その後、偶然にも10年ほど前に登山道で道案内するチビに出会ったことがあったが今はその面影はない。(13歳になるそうだ)
続いて日光沢温泉。
建物から歴史を感じさせる。
敷地内には春日野部屋の合宿所や土俵などもある。
この付近の河原も傷んでおり、昔の道は右岸に沿っていたが通れなくなっており、川の真ん中を通るようになっている。
写真左手の建物の下をくぐり抜けて登山道となる。
すぐに分岐があり、左方向へは根名草山、右へは鬼怒沼、丸沼方向となる。
右下に日光沢温泉神社を見て筬音橋を渡り、鬼怒川左岸沿いを進む。
右手奥にノシ滝がある。
丸沼との分岐に差し掛かるが、右手の鬼怒沼へは本格的な登りとなってくる。
丸沼には左手の木材を主体とした白いつり橋を渡る。
ジグザグの急登に疲れが増してくると、オロオソロシの滝展望台に到着。
向かいの山肌を細くて長い滝が線のように望める。
一方、こちらの山肌にはヒナタオソロシの滝があるが、望むことはできない。観るには先ほどのつり橋を渡り、丸沼方向に700m先とある。
ちなみに、「オロ」とは陰、「ヒナタ」とは日向の意味だそうだ。
深い森のなか、急坂がつらい。通常水が流れていない沢にも大木が。
大きな木が登山道を塞いでいる。
急登ももう少し。
道はなだらかになってきた。
辺りはシラベ(シラビソ)やトウヒなどの針葉樹林帯になってきた。
道はぬかるみはあっても残雪はほとんどなし。
花類は、ズダヤクシュぐらいで、この時期端境期なのか見当たらない。
ようやく鬼怒沼到着。女夫渕からここまで5時間弱。
曇り空ではあるが雨はなんとか大丈夫のよう。
鬼怒沼山は中央前衛の山に隠れて見えないが、その奥に位置する。
チングルマ、ヒメシャクナゲが見頃。
登山者はバス1台の団体さんは、登山道では長い列でも湿原では適当に散らばってそう多くは感じない。
ベンチでそれぞれにゆったりと流れる時間を過ごしていた。
標高2039mの湿原。さほど広くはない湿原ではあるが、地点によっては花の開花状況が違うことが歩いてみてわかる。
湿原をあとに鬼怒沼山にいくことにする。
湿原から見える前衛の山を右から巻くようにゆるやかな登りから、やがて鞍部に向けて下る。鞍部付近は残雪と倒木で所々行く手を遮る。
残念ながら尾瀬沼方向への分岐が気づかずにわからずじまいであった。
オサバグサが足の踏み場もないほどに群落を造っている。
頂上への登りは込み合った針葉樹林帯をぬってかなりの急坂で登っていく。
湿原から約40分で頂上に達する。眺望はほんの一部が切れているだけで長居は無用。
帰路は往路と同じだが長い行程であった。往復20数キロの道のりで、八丁の湯からは道標にある女夫渕まであと3.5キロの表示にまだそんなにあるのかと嫌気がさした。